あまごのぐーちょきぱー

ぐーちょきぱーでー(×2) なにつくろー(×2)

【映画】『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』を観てみた

映画『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』を観てみました。

 

あまごです。

 

薬物依存と戦いつつホームレス生活を続けていた主人公。路上でギターを弾いて歌を歌いなんとか食いつないでいた。そんな彼の元に一匹の野良猫が訪れる。ボブと名付けられたその猫が、ある日ケガをしてしまった。彼が有り金をはたいて助けると、ボブは彼から離れなくなった。いつも一緒の姿が次第に話題になり、注目を集めるようになり・・・。

 

といった感じの話。

 

主人公に迫りくる問題は様々で、友人の死や心にトラウマを抱えた人間との出会い、親子の問題、薬物依存など。これらをボブと共に、はたまたボブの為に乗り越えんとする姿がとても勇気をくれる気がする。力強さ、よりも、優しさで乗り越えていく感じがして、観ていて気持ちがほっこりした。

 

重たくて暗い問題が多いけれど、ボブが画の中にいるので観ている側の気持ちが暗い方に引っ張られる事なく、気軽に(といっては主人公の彼に失礼かもだけど)観ることが出来た。ボブがとっても良い表情をするのだ。主人公がもがき苦しむシーンで「辛い・・・」と思ったその後にボブが映って「あ・・・かわいい・・・」なんて思うこともしばしば。

 

猫だし、タイトルもなんだかキャッチーだし・・・まぁ猫が可愛いからな・・・と思って気軽に観てみたら、意外や意外にちゃんとしたストーリーで見ごたえがあった。人生は山あり谷ありで簡単ではない部分もちゃんと描かれているし、あくまでボブと出会った事はきっかけに過ぎず、結局それらに立ち向かったのは主人公自身なのだ。ただただ、猫を愛でる映画ではなかった。良い意味での裏切り感を感じつつ、良作であるなと思う。

 

あと、でもやっぱりボブが可愛い。

 

ちなみにストーリーは実話で、しかも出演しているボブも本人(本猫?)だそうです。

 

喫煙とはなんだろう

いまプレイしているゲームはヴァンキッシュPS3)です。

あまごです。

 

閑話休題

 

※多分に個人的解釈が入っています。健康被害や禁断症状など、ちゃんと知りたい方は、ちゃんとしたサイトなどで見てくださいね。

 

私は喫煙者だ。中学生のころ、自宅の押し入れに仕舞われていた布団の間にソフトパッケージのマイルドセブン(現メビウス)が挟まっていたことがある。これが初めてのタバコとの出会いであると記憶している。なぜ、布団の間に・・・と思った方も多いだろう。私も当時は思ったし、今でも思っている。おそらく、家族の誰かが隠しておいたのだろうと思う。私の家族は、母親以外(父、兄、姉)喫煙者であった。過去形なのは、みな今は吸っていないからである。止めたけど・・・でも・・・!!というありがちな状況だったのだろうと思う。まぁ当時はそういう家庭であったのでタバコと出会うのは必然だったのであろう。ただ、当時の私は発見したそれがタバコであるという認識だけで、そこで吸いたいと思うことはなく、そっと隠してあった場所に戻した。時は過ぎ、高校を卒業したあたりで友人が吸い始めた。私はなんの考えもなくソレに続いた。以降、喫煙者でありもはやベテランの域に達したのではないだろうか。もちろん未成年の喫煙はイケない事である。良い子は絶対に真似をしてはいけない。さもなくば、私みたいになっちゃうゾ☆

 

はて、私みたい・・とは?

 

それは、こうして長年のあいだ目に見えない何かに苦しめられる事になる、に他ならない。そう、私は苦しんでいる。吸いたいと止めたいの狭間を行き来して、でも結果は分かっていて、何が何でも吸うことを選ぶ。吸いたい気持ちが100で、止めたい気持ちは0だ。でも建前上、止めたいという気持ちもあるんだよと、いつも誰かに言い訳をしている。たぶん、自分に言い訳をしているのだと思う。

 

タバコを吸うとリラックスできる、落ち着く、イライラが無くなる・・・。うわぁ素晴らしい。でもなんでリラックスしたくなるんだろう。落ち着かなくなったりイライラしたりするんだろう。ニコチンが切れたからだ。なるほど、じゃあタバコを吸えば摂取できるね。はぁ・・・落ち着く・・・はぁ・・・イライラしてきた・・・タバコを吸おう・・・んはぁ・・・これこれこれだよ。

 

当たり前だが、吸わない人はニコチンが切れる事による禁断症状(イライラなど)は出ない。 吸う人は禁断症状が出る。出るから吸う。禁断症状(マイナス)の時にタバコを吸って(プラス)、ゼロにする。を繰り返す。マイナスをゼロにするために吸う(まぁ厳密にいえば健康被害などもあるだろうから、ゼロでは無いんだけど・・・)。

 

結局のところ喫煙とは、ニコチンのニコチンによるニコチンのための行動なのだ。

 

こんな非合理的なことをなぜ・・・。食事の後やコーヒーのお供に、などの習慣で吸う場合ももちろんあるだろうけれど、いわゆるニコチン依存というやつで、支配されているといってもいいかもしれない。ニコチンが切れて起こる禁断症状をニコチンで穴埋めしているだけの立派な中毒者である。もしかしたら、ニコチンに踊らされているだけで、喫煙に意思など介在しないのかもしれない。

 

 ーでも、じゃあそもそもマイナスの状況を作り出さなければよいのでは?

 

ごもっともである。ぐうの音も出ない。完膚なきまでに叩きのめされた気分だ。

 

 ーマイナスの状況とは?

 

ニコチンが切れた時に起こる禁断症状の時だ。そうか。あと一歩な気がする。

 

 ーそれを作り出さないためには?

 

うぎぎ・・・ぐごご・・・

 

 ー喫煙に意思が介在しないのなら、意志を持って介在すれば良いのでは?

 

意志を持って介在・・・それはつまり禁・・・え・・n・・・・ぐふっ。

 

返事がない。ただの中毒者のようだ。とまぁ自虐はここまでにして、今後の私の為に、私は私がニコチン中毒であるという状況を明確に提示してみた。これを読んでくれた人の状況は分からないが、もし仮に喫煙に興味を持ってしまったのなら、

 

「吸うなとは言わないけれど、吸わない方が絶対に良いよ」

 

と私は言いたい。

 

~余談~

最近、もう一年以上は禁煙しているよという人に出会った。きっかけは?と聞くと、たまたまタバコを買い忘れて、その時にじゃあどこまで吸わないでいられるかな?って試してたら今も吸わずに居られているのだと教えてくれた。禁煙について色々と見聞きする中でおそらく、この成功例は稀だろうと思うが一つの希望であるとも思った次第。ひとまず私は禁煙を応援してくれるアプリをスマホにダウンロードしたのであった。

 

 

本当に救われないのはケツから二番目

UFOキャッチャーで取った忍野忍フィギュアを2体飾っています。

あまごです。

 

閑話休題

 

本当に救われないのはケツではない。ケツから二番目なのだ。ケツとは言ってもお尻の話ではない。お尻だとしたら、お尻から二番目となってしまう。お尻が一番目だとするならば、二番目は何なのだ。どこなのだ。どこの穴なのだ。となってしまう。穴であるかも分からないのに穴だと決めつけてしまうくらいに私は錯乱してしまう。

 

星座占い、あるいは誕生月占い。朝のワイドショーなどで番組終わりにランキング形式で発表される占いの話である。

 

分かりやすく星座占いを例にとる。星座は12星座だ。そういえば一時期、へびつかい座なるものが入り13星座が流行りかけたが、残念ながら定着はしなかった。

 

この占いショーにおいては、1位と12位がピックアップされることが多い。1位の星座は、諸手を挙げて褒め称えられ神輿を担がれる。逆に12位の星座は、どん底に叩き落される始末。何をやっても上手くいかない。おとなしくしていた方が良い。未来さえ刈り取られる勢いだ。

 

しかし占い師はそんな12位の星座を見捨てたりはしない。ラッキーカラーだのお助けアイテムだのを助け船として提示してくれる。地獄に居るカンダタ蜘蛛の糸を垂らした釈迦のように。真摯に受け止められれば、その糸をつかみ12位の星座は無事に地獄を脱せるわけである。

 

さて、ではほかの2位~11位の星座はというと、さらりと流されて終わってしまう。終わってしまうのだ。12位は前述した通り救われている。少なくとも、救われる術を享受頂いている。最下位は脱したと言っても良いだろう。であるならば、本当に救われなかったのは11位の星座という事になってしまう。

 

「今日、占い11位でさ~」「でも12位じゃないなら良かったじゃん」しつこいようだが12位は救われている。なのでこの救済も叶わない。なんという事であろうか。11位では笑いにもならないではない。悶々とその日を過ごさなければならず、あまつさえ最下位を脱した12位の星座に嘲笑われながら肩を落とす羽目になる。そんな・・・ただ11位だっただけなのに・・・。いやだ。11位は嫌だ・・・。だれか・・・助けて・・・助けてよアスカ・・・

 

急にシンジ君になってしまった事をお詫びいたします。最低だ、俺って・・・。

 

またシンジ君になってしまいました。さておき私は提案します。

占いランキングの発表は5位までとし、その他7つはすべて平等に発表してはいかがですか!

 

せやかてくどう

そないなこと言われてもしゃーないでんがな。

私は関西地方の言葉使いがなっちゃいません。

あまごです。

 

閑話休題

 

せやかて工藤。

関東の雰囲気で言い直すと、待って待って待ってマジ待って工藤!そうだけど!そうだけど!!工藤ちょっと待てしw

みたいな感じでしょうか。違いますね。そうですよね。すみません。

 

閑話休題

 

歩いている道すがら、これを見ると必ず考えてしまうことがある。

 

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この、塀(壁?)の穴だ。この塀はそそり立っていて、高さは4メートルから5メートルと言った所であろうか。その上には住宅地があることが多い。穴は地上からおそらく1.5メートルくらいの高さにある。私の身長が172センチであり、ちょうど顔の位置にあるので、だいたいその位であろう。

 

この、ちょうど顔の位置にある、というのがポイントなのだ。これがもっと低かったり、あるいはもっと高ければ私は何とも思わない。穴が顔の高さに存在しているというのが重要なのである。

 

私はこのような穴に遭遇すると、

 

「・・・この穴から急に汚い水がドバーーッと出てき、顔面を直撃したら嫌だなぁ」

 

と思ってしまうのだ。絶対にそう考えてしまう。ドバーーッの具合は、塀を伝って流れるのではなく、ダムの放流よろしくそれはもう勢いよく道路を水浸しにするくらいのドバーーッである。汚い水が顔面を直撃し、服を濡らし、ビシャビシャになる。ちょっと臭い。嫌だ。絶対に嫌だ。こんな危険な穴をなぜ放置しているのか。こんな穴は、塞ぐべきだ。今すぐ声を挙げなければ。被害者が増える前に。立てよ国民!

 

「せやかて工藤」

 

彼の声が聞こえる。私はあまごだが、ここは彼の言う通りに工藤を演じよう。

 

「そないな事にはならへんやろ」

 

そう、きっとそうはならないのだ。その危険な穴は、私がそう思ってしまう穴であるだけ、普通の穴なのだ。汚い水は、この穴から勢いよくは出てこない。私だって分かっている。その証拠に、その穴がある道を避けて通ることはないし、なんなら道の端を歩けば必然的に穴に近づくわけで私は道の端を歩くのだから、穴はもう目と鼻の先であるにも関わらず平然と歩ける。そうはならない、と思いつつも心のどこかで、そういうハプニング大賞的な何かを期待しているのかもしれない。

 

期待している、といえば、こういう穴には残念ながら心無い人間が押し込めたであろう空き缶が捻じ込まれていることがある。

 

「もしこの空き缶が捻じ込まれている穴から、急に汚い水がドバーーッと出てきたら空き缶がスポーーーンッと飛び出すのかなぁ!?」

 

などとワクワクしてしまう。もの凄い勢いで空き缶が飛び出してくる。汚い水はいつしか綺麗な水へと変わっていて、空は青い。水と空き缶がスローモーションで綺麗に放物線を描き、虹が掛かる。その後ろでは部活帰りの中学生がはしゃいで青春を謳歌している。CMにしたいくらいの映像だ・・・。

 

「せやかて工藤」

 

彼の声が聞こえた気がした。

 

ネーコは一日にしてならず

アマプラ無料期間が終わっていたのに解約し忘れていて、しっかり500円取られています。ただ映画とか音楽とか、コンテンツ量が膨大すぎて500円でも安っすい!と思い始めて結局、解約しない方向に舵を取りました。

あまごです。

 

 閑話休題

 

タイトルについては、頭にパッと思い浮かんだものを付けたので特に意味はありません。今のところは。記していく内に、無理やりこじつけていきましょう。

 

先日、人生で初めて「猫カフェ」なる場所に挑みました。

 

『猫カフェ~ねこ・JaLaLa~秋葉原店』

 

 

とととととと、と、とりあえず30分で様子見入店。ねこ・JaLaLaさんがどうとかいう話ではなくて、ねねねねね、ね、こ、猫カフェが初めてだから・・・。緊張してるから・・・。といった塩梅で入店すると、店員さんと猫多数がお出迎えしてくれた。色々と説明してくれて、手の消毒を済ませてから、いざ!

 

・・・。

 

ん~、猫がいっぱいいるなぁと思った。思い続けた。私は動けない。猫カフェでの最適ムーブが分からない。ひとまず周りを見渡し、他のお客さんの真似をするかの如く、私はおもちゃを手に取る。これで猫と戯れるのだな。なるほど。しかし猫は寄ってこない。私の緊張を感じ取っているのか。なんということだ。猫の髭は何でもお見通しというわけか。命が九つあるだけはあるな!錯乱してきた。猫たちは思い思いの行動をとっている。

 

入店時に頼んだコーヒーを飲み、心を落ち着ける。あるいはカフェインで興奮してしまったかもしれないが、カフェインは摂取してから20分程度しないと効果が出ないというではないか。30分コースで入店しているのに20分後にカフェインの効果が出るだなんて憎い演出だ!時間が足りない!いやまだ時間はある!錯乱してきた。猫たちは私の動揺を意に介さず自由に過ごしている。

 

スマホを取り出して、写真を撮ることにする。お店からの約束でフラッシュは厳禁だ。確認する。大丈夫だ。恐るおそるパシャリと一枚。また一枚。少しずつ場の空気にも慣れてきた。寝ている子は起こさないように、起きている子にロックオンし近づいていく。おもちゃで釣ることはもはや諦めた。私から踏み出さなくては、私が努力しなくては、なにも解決しない。

 

ゆるゆると手を伸ばし、頭を、撫でる・・・。素晴らしい。なんという毛並み。体温を、温もりを感じる。私は大げさにではなく、感動してしまった。人間以外の生物で久しぶりにこの温かさを感じることができたからだ。当たり前の話だが、生きているのだなぁと実感することが出来た。そんな当たり前のことに感動してしまった。

 

などと慌てふためきつつも、徐々に緊張から解放された私は次々に起きている子たちにアタックしていく。時には無下にされつつ、時に愛想を振りまかれ、私は30分という短い時間ではあるが猫カフェを堪能したのであった。

 

ローマは一日にして成らず。

大きなことを成し遂げるには長い時間と努力が必要という意味だ。

私はきっとまだ猫の魅力に気づけていない。

それに気づくまでには、もっと多くの時間と努力が必要なのだろう。

 

ネーコは一日にして成らず、というわけである。

 

(満面の笑みで強引に伏線回収完了)

 

ねこ・JaLaLaさんは、こじんまりとした店内ではありましたが、その分、猫たちとの距離が近くてとても良いお店でした。

 

 ※名前を聞き忘れましたが、サイトを見る限りだと「ゴマちゃん」でしょうか。

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そんな目で見られたら・・・ゾクゾクしてまうやろ・・・。

業務スーパーでカフェインレスコーヒーを買ってみた

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香り:★★☆☆☆

酸味:★★☆☆☆

コク:★☆☆☆☆

 

感想:

カフェイン量はスプーン1杯(約2g)に対して、0.006g未満だそうです。後味が非常にさっぱり。香りはコーヒーというより黒糖のような・・・かつ、それがほんのりと香る程度。不味い!ではないけど美味い!でもない、値段に見合った味わい。コーヒー感はあまり無い。あと、パッケージがなんかシャレオツ。

 

余談:

いままで飲んでいたネスカフェのカフェインレスコーヒーが無くなりそうなので、いつもの場所に買いに行こうと思っていたんですが、その道中にあった業務スーパーにもあるかな?と思って寄ってみました。

 

私が良く行く薬局などではカフェインレス系は通常のより値段が高くて、2倍以上するんですよね。業務スーパーで見つけたコレは値段も通常のコーヒーとほとんど同じ(税込み375円)でこれはっ!と思い、購入しました。まぁ正直、見たことのないコーヒーだったので、味は果たしてどうなんだろうと頭を傾げながら買ったのは事実です。

 

そして結果は・・・。

 

裏面に「お好みで砂糖やミルクを入れてお召し上がり下さい」とあります。確かにミルクを入れたら少しは良いかもですね。

大人の階段はいつでも登れるかもしれない

まぁたしかに注文したのは自分だけども。

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こんなにどっさり入ってるもんかね!?

内容量1000gの迫力。私はカカオに取り込まれてしまうのではないか。比較にためどこにでもあるリップクリームを置いてみました。

あまごです。

 

閑話休題

 

帰り道、ランドセルを背負った男子小学生3人を見かけた。おそらく3年生くらいかなぁと推察しつつ、少しだけ彼らに目を奪われた。なぜなら、そのうちの1人が道路のソフトコーン(ある程度の硬さがあり、それでいてフニャっと曲がるオレンジ色のポール)で遊んでいたのだ。1人がソフトコーンをグニャリと曲げつつ跨いだりしながら、他の2人と談笑しているようである。私は、ソフトコーンってあんなに曲がるんだなぁと思い、またそのソフトコーンが反発して彼の股間に直撃しないかと心配した。

 

そんな心配をよそに、その1人は無邪気にソフトコーンと戯れている。まぁ直撃したらしたで良い勉強になるだろう。男子たるもの、股間を痛めずして大人の階段は登れないのだ。幾千幾万の激痛、悶絶し成長した歴戦の戦士たちの上にいま我々が存在していることを忘れてはならない。

 

と、私が思ったかどうかの審議はまたの機会として、その小学生たちとすれ違う瞬間、ソフトコーンで戯れていた彼は、股間を手で抑えつつ大きな声でこう言った。

 

「知ってる~?」

「大人になるとココがキュウリみたいに固くなるんだって~」

 

oh!

 

私は愕然とした。小学生がそのような知識を持っていたことに、ではない。キュウリで例えた彼のセンスにである。私は妙に納得した。全てに合点がいってしまった。それは確かにキュウリな気がする。野菜で例えることはままあることだし、可笑しな事はない。記憶には無いが私もきっとそう例えた時代もあったろう。そういう遠い記憶が呼び起こされたのかもしれない。

 

会話から察するに、誰かから聞き伝えられたものではあるのだろうけれど、この手の話題はこれから先もきっと変わらないのだろう・・・なんて思いつつ、私はマスクの下でニッコリしていた。とかく落ち込みがちな帰路でとても微笑ましい体験ができて満足しながら歩いていると、後ろの方からおそらくその小学生であろう声が聞こえた。

 

「痛てぇ!!」「あはは~」「なにやってんだこいつ~~」

 

彼もまた大人への階段を登り始めたようである。